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プロフィール

東京都に住む24歳です。

今年まったく何もかもが未知の状態から
ヘルパー2級の勉強を始めました。

何を見ても聞いても
知らないことだらけなので、楽しみです。
一生懸命学ぼうと思います!!

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いちご

同行訪問&見学実習

同行訪問デイサービスセンターでの実習を終えてきました

まずは先週金曜日のホームヘルパー同行訪問

2件のお宅に行かせて頂きました。
ホームヘルパーというのは
もともと、他人が家に入るということに
抵抗を感じる利用者さんも多いとのことで
ましてや、実習生なんかを受け入れてくれる貴重な方は
少ないようです。
言われてみれば当たり前な気がするけど

身体介護と生活介護、両方のケースを拝見させていただき
利用者さんもとっても話しやすい方で楽しかったです
課題・・・
もちろんたくさんあります
でも目下の課題は、
どれだけの距離を保てばいいのかということ

規則や制限の中で最大限の信頼関係を築くこと

前に授業で習ったとおり、
友達になりにいっているわけではなく、プロとして信用してもらわなきゃいけない。
ということは
あまりにも個人的な話を聞いたりしたりすると
距離が近付きすぎてだめ
でもこの微妙な会話の運び方というか
どうやってかわすのか
むしろかわすべきなのか
わからなくて悩み通しでした。。。
そして介護保険で仕事をさせてもらっている以上
ケアプランにないことは原則として一切時間を使ってはいけないわけで
でもでも
やっぱり信頼関係を築く上で、
ちょっとした頼まれごとはその場でさっとやっちゃったり
少し会話を楽しむ時間があったり
そういう臨機応変さは必要なわけで
そういう原則と例外の区別がまだ私にはわかりません。

そして今日のデイサービスセンター実習
さまざまな気持ちや、環境を抱えた人たちが
同じように楽しむことなんてできるのかなと思い
最大限快適にすごしてもらうには
何が必要なのか見てこようという目標をたてました
なにがすごいって
スタッフのみなさんはすごく忙しい中
常に一人一人の利用者さんにちゃんと注意をはらっているということ
手持ち無沙汰な人や不快な思いをしている人がいないよう
ちゃんと声がけをしていました
ここでもやっぱり同じような問題にぶつかるわけですが
私は若いこともあり
見た目は年よりさらに若いこともあり
<特大<色:#cc0099>>かわいがってもらえるけど
信用はされない
遊ぶときはかまってもらえて
いろんな話をしていただけますが
やっぱり大事な介助の話になると
全然相手にされていない感じがあります。

解決法はないけど
結局きっと経験や自信を付ける以外にはなくて
これから先は申請を済ませ
資格をいただくことができますが
その資格に見合うまでには
まだまだまだまだ
遠い道のりというわけです・・

2008. 02. 12(火) 20:43
いちご

施設実習☆

国分寺病院に実習にいってきました

二日間の実習は本当にあっという間

オムツ交換から始まり
食事介助
体位交換
入浴介助
清拭
口腔ケア
トランスファー
レクリエーション


などなど本当に盛りだくさんで
一日がすぐにたってしまいます

平均年齢83歳??っていってたかな??

一生懸命スクーリングで学んだ技術は
わりとふっとんで緊張しまくっていたわけですが
充実してました・・・

原則やテクニックを学んでも
実際現場にいないとわからないことがたくさんある
とわかっていたつもりではいましたが
やっぱりたくさん
ベッドから車椅子に移動
という一つをとっても
利用者さんによって
体のどこに体重がかかるかとか
どこを支えなきゃいけないかとか
全然違ってくるんですもんね

あとはコミュニケーションのとりかたとか
声がけのしかたとか
一番大事なところが一番むずかしかった
もともとの人見知りもありますが
何話したらいいかわからないし
どうやって会話続けたらいいかわからない
それが今後も最重要課題となりそうです

それにしても
二日間という短い時間ですが
すべてを注ぎ込んで向き合ってきた
おじいちゃんおばあちゃんと
もう会えないと思うとすごく寂しいです
こんな感情移入しちゃってるようでは
きっと仕事なんてつとまらないんでしょうね
2008. 02. 05(火) 22:35
いちご

人のためになりたい

ということを思ったことがありません
自己犠牲の精神なんて
何もないと思います

介護や医療に関わる人は
一般的に自己犠牲の精神が強く
人のために、という気持ちをもっているといいますが
(もちろんきっといろいろ例外はありつつ)
私はその一般的に言う
人のためになりたい
という気持ちがよくわかりません。

人のためになる
という言葉自体
私がいうとどうも傲慢で押し付けがましい気がして
なんだか身の程知らずというかなんというか・・
色々な状況や常識を見て予測をすることはできても
その人が本当にしてほしいことなんて
わかりようはなくて
それは健常者でも障害者でも関係なく。

ただ
道でおばあちゃんが重い荷物もって困ってたら
持ちましょうかと声をかけるし
足骨折して階段上るの大変そうな人がいたら
荷物持ちましょうかとか手つかまったら楽ですかとか
何かしら思うだろうし
そういう当たり前の感情は
人並みにあるのですが
一般論として
人の役にたちたい
っていうモチベーションがわからなかったんです。

今日でスクーリングが終わり
ひと段落したところで考えてみると
結局天秤にかけることなのかなと思います。

言い方悪いかも

つまり
おばあちゃんが荷物をもっている労力
私がその荷物をもつ労力
時間や状況などのタイミング
相手の感情(推測)
面倒だとかの自分にかかる心理的負担


そういうものを天秤にかけて
どっちに傾いたかで
じゃあ私が持ったほうがいいかな
とか
私出る幕じゃないだろう
とか
面倒だからいいや
とか
結論が出るんだと思います。

私が重い荷物を持っているときに
男性の手があると
持ってもらえることがあります。
これも、私は持てるけど
私が持つ労力
男性が持つ労力
心理的負担
私の心理


そういうものを天秤にかけて
その男性の天秤がどちらに傾いたかで
もってもらえたりもらえなかったり。
もちろん持ってもらいたいと思う私みたいなあつかましいタイプと
自分の荷物は自分で
という自立した方と
もっと非力で実際持ってもらわなきゃどうにもならないと思う人などがいるし・・・
すべてはそのバランス
そのバランスを社会の中で保つために
介護や福祉という仕事があるのかなあと
なんとなくイメージしたりしてました。

きっと
人の役に立ちたい
人のためになりたい

そういう感情が
世間一般にむけてもてる人は
天秤にかけるときの
「自分の心理的負担」の項目の比重がすごく少ない人なんだと思います。

私に関していえば
それが自分の身内や身の回りで手の届く範囲でのことに関しては
比重が少ないけど
世間一般、抽象的に社会にむけて
ってなったときに
その比重がどれくらいなのか
まだわかってないんだと思います

何もかも
これから!
来週の現場実習にむかって
張り切って準備したいです





2008. 01. 30(水) 18:17
いちご

人と人と

昨日は排泄介護の実習がありました
実際に体験したわけでなく
ロールプレイなので
介護者として実際に自分が抵抗があるかどうかは
全然イメージできなかったのですが
むしろ何もない気がしているのですが
利用者の役をやったときには
服の上からだったけど
やっぱり抵抗がありました。
とっても。

精神面を特に配慮しなくてはいけないと
教わりましたが
まだどうしたらいいのかわかりません。
これは現場実習の課題かな。

いかに自分が排泄という行為を
日常的に無意識にしているかがよ〜〜くわかりました
排泄のプロセスをかんがえて見ましょうとなったとき
私が思いついたのは

尿意・便意→トイレにいく→服をぬぐ→排泄→ふく→流す→服を着る
だったのですが
実際はその間に
トイレの場所を認識する
立ち上がる
座る
また立ち上がる
移動


ということが入ってくるわけで
ふだんからだが無意識に動くから
意識していないんだなぁ・・・と。

それにしても
なぜ利用者に声をかけるとき
高い猫なで声になっちゃうんでしょうね
やさしく話す、という意識からくるものなのでしょうけど
過度な声色を使っているのを聞くと
赤ちゃんに話しかけるみたいで違和感があります。

声だけでなく
社会的な態度としても
過度に気を使って
大変でしょうという目を向けたり
何もかも手を出して助けようとしたり
きっとそれ自体がバリアであり差別だったりするんだろうなと思います。
もちろん中には人の助けがないと
起き上がることができなかったり
歩行に特別の配慮が必要だったりする人がいますが
それは障害に関係なく
私だって誰だって
人の助けがほしい部分といらない部分
配慮してほしい部分とほっておいてほしい部分

人それぞれにあるんですもんね。

その人が何を本当にのぞむかなんて
わかりようがない、
というのは
「ためらいの看護」という本の受け売りです。
著者は西川勝さん。
人間と人間なんて違う個体で理解しあえるわけがない。
でもその中でどうやって歩み寄って共存するかを
考えることが大事なんだ

ってものすごく影響をうけた本です。

認知症の人に
何言ってんの
などと怒ってはいけない
と指導をうけますが
そんなの
私だって
何言ってんの!!
って怒られたら
相当沈んでしまいます。
結局
自分がしてほしくないことは人にしちゃいけない
とか人間関係の中であたりまえのことを胸に
フラットに見ることが大事なんじゃないかと思います。

わがままを通しちゃだめとか
甘えさせずに自分でできることは自分でして残存機能の強化を

とか
知識としてはちゃんとふまえた上で
人間なんだから
甘えたいときは甘えたいし
わがままをいいたくなるのも当たり前だし
自分で全部やりたい人にはやれるよな方法をみつけたらいいし

人がその瞬間だけでもちょっとした幸せを感じることがあるなら
それはすごく意味のあることだと思います。

それがきっと
ものすごぉぉぉく
むずかしいことなんでしょうけど
2008. 01. 30(水) 17:48
いちご

知識よりも知恵を

知識より知恵を
頭のよいバカになれ

などとよく言いますが
今日の身体の清拭洗髪の授業を通して
しみじみと感じました

体の拭き方
髪の洗い方
その他体をきれいにする

ということに関して
人の好みややり方は本当に多種多様

一通り基礎を習ったあとは
その人が気持ちのよいように
リフレッシュできるように

臨機応変に応用する必要があるんですね
体をきれいにするのは
感染症の予防など大事な役割がたくさんありますが
そういうのは当たり前として
お風呂に入ってさっぱりする
頭をマッサージしてもらって心地よくなる

そういう精神的にとっても重要な効果がありますもんね

知識より知恵をといいつつも
私は頭が堅いので
とりあえず知識から入ると安心します

最近は介護や医療に関するをたくさん読むようになりました。
先生など他人から勧められた本や
話題になっている本など
片っ端から読むと
現場の状況がわかったり
人がそれぞれ介護をどうとらえるかとか
自分が共感できる部分や反発を感じる部分など
色々感じるものが多いです
これが知恵に生かされていってくれるといいんですが・・・
2008. 01. 28(月) 21:39
いちご

食べるということ。

今日は食事介助更衣の講義でした

食べる
とはどういうことか・・・

私は以前摂食障害で苦しんだことがあるので
食べ物をおいしく食べる幸せとか
おなかがすいて食べたいものを食べるという
行為がどんなにうれしいことか
わりと敏感に感じてきました。

でも今日
視覚障害者の食事体験をして
目隠しをして食事をしてわかったのは

食事って楽しい
おいしいごはんを食べられる幸せ


そういうのは全部
私が生まれつきずっと健常者で
食事を当たり前にできていたから。

目が見えずにごはんを食べると
おいしいとかそういう話ではなくて
どこに食べ物があるかわからない
何を食べているかわからない
どんな料理なのかわからない
スプーンにものがのっているかわからない
正しい方向にものをすくっているかわからない

大変な「作業」でした

先生のお話によると
生きるために食べる
のであって
綺麗に食べなきゃ
とか
行儀よく落とさないように食べなきゃ
とか

そういうことではなく
>しっかり食べ物を口に入れて
栄養をとる。

という意識でものを食べるのだと・・

それがじゃあ損なことか、つらいことかというと
そういうふうに考えること自体がたぶんおかしくて
視覚がないぶん他の感覚はずっと発達していて
味覚嗅覚なんて私よりずーーっと鋭いんだろうし
そもそも食事に何を求めるか
何を満たすために食物をとるかという
価値観自体が
障害者、健常者関係なく
ひとそれぞれ違うものなんですよね。

食べるってどういうことなんだろう
そんなことを考えた一日でした

2008. 01. 25(金) 19:55
いちご

介護はセンス

介護はセンス
ということを
教えていただきました

友達の洋服が
ちょっとひっかかってつっていたときに
あれ?
と感じて直す。
そういうことらしいです

あれ?ちょっと苦しそう?
あれ?これじゃ辛そう?


そういうことを感づいて
察知して
気遣う心のこと

昨日はシーツ交換や応急処置の授業でした
利用者役をやって

この体勢はつらいから早く戻してほしい
ここで体さすられると安心するんだな
名前呼ばれるとうれしいな


とか
そういう気持ちが初めてわかりました

ちょっとした配慮だったり
たった一つの動作だったりするんだけど
そういうことができるのとできないのとでは
何もかもが完全に違うってことを知りました・・・

自分がしてほしいことを人にもする
自分がしてほしくないことは人にもしない


そんな当たり前のことなのに
難しいんだなぁ・・・






2008. 01. 24(木) 07:24
いちご

スクーリング開始!

ついに昨日からスクーリングが始まりました

昨日と今日は座学で
ながーい時間机についているということから
しばらく離れていたせいか
どっと疲れました

先生のお話や
他の生徒さんのお話をきいて
いろんな角度から
いろんなことを学んでいるのはもちろんですが
自分の価値観とか心構えについて
考えさせられることがたくさんあります

今日一番考えたのは
信頼ということば。

介護者と利用者間の信頼

「在宅介護中、こんなことがあったらどうする??」
というテーマで話し合いをしていたときのことです
事例の中に
「湯茶を勧められたら?」
「金品(プレゼント)をいただいたら?」

というものがありました。
もちろんどちらも禁止されていることですが
もし利用者が好意で何度も進めてくださったら・・・

私は安易に
ありがたく受け取ったほうがいいんじゃないか
と思ったんです。

考えてみれば
今まで家庭教師をしていたり
喫茶店でアルバイトをしていたりした中でも
相手の方からご好意でちょっとしたプレゼントをいただくことがありました。
それはお互いの関係が深く密になっていく中で
信頼関係があります、という相手からの意思表示のようなもので
それは素直に受け取ってきたわけです。

でもでも
ここでは賢明とはいえない、
というかむしろよくないんだなと思いました。

信頼というのは
一人のともだちとして信頼してもらうのではなく
一人の専門家として信頼してもらうこと。
距離が近くなりすぎてはよくないんですね。

金品ではない、
気持ちの受け取り方
仕事を介する適度な距離感というものが
とっても大切なんだなと思いました。

仕事をする以上
そこにはルールがあって

でもそのルールに触れるか触れないかのところに
人間のいろんな感情があるから
すごく難しいなとおもいました><

固定観念や偏見を
いくらとっぱらって学ぼうとしているつもりでも
知らないうちに
どっかフィルターがかかっちゃってたりするし。

考えることが多すぎて
一日の講座が終わって
帰宅後の頭からは
湯気が立っている感じがします
普段あまりにも使っていなさ過ぎるのでしょうか

明日からは実技!!
がんばりましょう!!
2008. 01. 22(火) 19:36
いちご

ほーーーーむすたでい中

ホームスタディがはじまってるわけですが

なんて覚えることが多いの

いやいやしかし・・・・
体の各部の名称や病気のこと、対応のしかた、気遣いのしかたなど
どれも重要事項ばかり。。。

つべこべいわずに覚えなきゃ

頭が完全文系なので
というかそれを言い訳にして
なかなか記憶が定着しません

高校で生物選択してなかったっけ
そういえば遠〜〜〜〜い記憶のかなたに
なんだかちょこっとふよふよと浮かんでいるものがあるような

無理矢理たたき起こしてひっぱってこよう
2008. 01. 09(水) 06:34
いちご

開設!

はじめまして!!

今年からヘルパー2級の取得を目指して勉強しています

私がホームヘルパーの資格をとろうと思ったきっかけは
おじいちゃんでした。
おばあちゃんが9年ほど前に亡くなり、
それからおじいちゃんはいつもしょんぼりしてました。
さみしそうにおばあちゃんの思い出を語り、
日々を生かされていることに不満を訴えていました。

そんなおじいちゃんが数ヶ月前入院し、
足の切断手術をしました。
寝たきりになってどんどん弱っていくおじいちゃんを見て、
何かしてあげたい、と思ったのがきっかけです。

何か、といってもどうやって体を起こしたらいいのかすらわからず、
どこが苦しいのかもわからず、
手も出せない状態で右往左往してる自分がいて、
とにかく体を起こす手助けくらいはできるようになりたい、と思いました。

おじいちゃんは家に帰りたがっていたので、
おうちの掃除や料理など、お手伝いくらいはできるようになりたいなと思ってました。

なぜ過去形かというと・・・
年末におじいちゃんが急に亡くなってしまったからです。

ひとしきり泣いて
自分の思いを整理して
落ち着いて考えられるようになった今、
自分が今年やろうとしていた
ホームヘルパーの勉強についても
考え直しましたが、
せっかくもらったきっかけなので、
しっかり勉強したいと思います

おじいちゃんは、たぶん自分で逝きたくて逝ったのだと思います。
自分のことはなんでも自分で決めてきたおじいちゃんが
他の人に自分の生活を案じられたり
心配をかけたりするのは嫌だっただろうなとおもうんです。

ただひとつ後悔しているのは、
おばあちゃんが死んでから
おじいちゃんに「生きる希望」を持ってもらえなかったことです。
「明日」を楽しみにすることができれば、
何か結果は変わってたのかもと思うことがあります
それが、「介護」の力なのかなと思います。
わかりませんけど。。
わからないので、勉強してみようと思います

がんばるぞ〜〜〜


2008. 01. 07(月) 23:40